【コラム】元小学校教員が「日本の教育はだめだ。」という意見に思うこと。
元小学校教員のYukiです。以前からずっと言及したいと思っていましたが、立場上あまり発信できなかったことを発信していきたいと思っています。
今回は、「日本の教育のここがよくない!終わっている!」という意見に対して思っていることをまとめてみました。
今回伝えたいこと
1. 「教育」という大きな概念ではなく、範囲を絞って批判して欲しい。
2. 個人の体験から「教育」を批判する行為は、一呼吸置いた方がいい。
3. もちろん批判は自由ですが、言いっぱなしは面白くない。
題材にする意見
よく、「日本の教育のここがよくない!」という意見を見かけます。今回は以下のTwitterの発信について考えていきたいと思います。
私は小学3年生の頃には開成の算数の入試問題で100点を取れる子供だった
小学校の算数の授業は退屈なので毎回本屋さんで買った教材を解いていた
するとある日先生に「君だけ違うことをしていたら周りの友達がどう思うか考えなさい」と怒られた
これが世界に遅れを取る日本の教育
Twitterより
このTwitter、開成の入試問題は80点満点だぞ!という突っ込みを受けたものなのですが、算数の授業の出来事にフォーカスします。
1.「教育」という言葉は、範囲が広すぎる
教育について意見をもっている人は、とにかく「教育」の責任にしたがる傾向があります。意見を発信するなら、「教育」のどの部分について話しているかを明確にした方がよいと思います。
例えば、今回のTwitterの内容を検討すると、「異才を放つ児童が、画一的な授業を受けなければいけないのは、日本の教育の悪しき部分である。」と言いたいのだと思います。
その部分について検討すると、たしかにこの教育改革の総合的推進に関する研究によると、日本ではギフテッドという言葉自体知られていないという現状があり、適切な教育を受けることができていない児童がいるようだということが分かります。
じゃあ日本ではこの問題に対して何もしていないのか?というと、渋谷区にはこの問題に取り組もうという姿勢があることが、webの記事ではありますが、確認できます。
ちなみに、ギフテッドという言葉を使っていないものの、このようなプログラムも行われています。
少し調べただけでも、いくつかの情報は掴むことができます。このように、「教育」という便利で巨大な概念を使うのではなく、領域や分野を絞って批判したほうが、健全な議論に繋がると思います。
2.個人的な体験は、今の「教育」ではない
また、教育について意見をもっている人は、自分の経験だけを頼りに発信する傾向があります。意見を発信するなら、個人的な体験が、現状はどうなっているかを明確にした方がいいと思います。
例えば、その方にとって嫌だった体験は、その環境特有のものだったかも知れませんし、その時代だったから起きたことかも知れません。
確かに、教育の現場では何十年も変わっていないこともあります。でも、皆さんが学校に通っていたころと何も変わっていないのでしょうか?10年前の思い出を語っているだけということはないでしょうか?まさか、今でも出席簿で児童の頭をたたくことが許されるとでも?
だから、今はどうなっているんだろう?ということを調べてから、発信していくと共感しやすいんじゃないかなと思います。
3.批判よりも1つ行動に価値がある、と思う
最後は、私が最も伝えたいことを伝えたいと思います。教育について不満があるならば、批判だけでなく行動しようよ、と思ってます。自分が直接関わることが難しい場合、既に行動をしている人を支援することも、状況の改善に繋がります。
終わりに
発言するのは自由なんですよ。でも、まずその問題についてもう少し詳しく考えるのは、発言する方の責任だと思います。
やじるだけやじっておいて、後は先生の責任だとか思われたら、たまったもんじゃないですからね。
軽率に「教育」を批判する人は、全国の先生方に謝ってください。
もし、興味がありましたら、Twitterのフォローをお願いします!